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暗い心でお念仏
苦しい時も 南無阿弥陀仏

悲しい時も 南無阿弥陀仏

淋しい時も 南無阿弥陀仏

不安な時も 南無阿弥陀仏

こわい時も 南無阿弥陀仏

悔しい時も 南無阿弥陀仏

空しい時も 南無阿弥陀仏

やるせない時も 南無阿弥陀仏

やりきれない時も 南無阿弥陀仏


念仏の功徳で助かるとは思っていませんが、

どこかに「何とかなりたい」の思いがこもります。

凡夫ですね。


そのままに、そのままに受け入れて 南無阿弥陀仏

そうでした、

南無阿弥陀仏さまがお助けでした。

今ここに届いていて、私とともにいて下さると

気づかせて下さるお念仏でした。


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[2017/08/13 17:20] | 念仏 | トラックバック(0) | コメント(0) |
日常の苦しい中に南無阿弥陀仏
阿弥陀仏の本願を聞かせて頂き、念仏を称える身になると
生命の大歓喜が起き、いつも喜びに満ちあふれ、
悪いことは起こらず、
苦しみがやってきても直ぐに喜びに転じ変わる。

そんなことはありません。

少なくとも、私はそうではありません。

日常生活は、苦しみや不安を抱えて生きていて、
愚かなことに自らの行為で、餓鬼や畜生の闇に堕ちてしまいます。

阿弥陀さまは、私が地獄に堕た時は一緒に地獄に落ち、
同じ苦しみを受けながら、抜苦与楽の願いをかけて
地獄から抜け出すまですっと私によりそっていて下さる、
とお聞きしたことがあります。

今は人間界の六道輪廻をしていて、時々三悪道に堕ちますが、
幸いにも、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と念仏を称えさせて頂いています。

過去に三悪道にいた時と今の違いは、
幸いにも仏願の生起本末を聞かせていただき、
南無阿弥陀仏を称えていることです。

念仏を称えるとほっと一息つけるようで、
自分の愚かさを知らされながら、
何とかなると楽観的に思えたり、
何とかしようと気持ちが前向きになります。

日常生活の不安や迷いに沈んでいる私は、出口を見つけたい、
誰かに相談したいと思っています。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と念仏を称えながら
少しでも良くなる思考をして、
良い方向に進んでいきます。

ありがとうございます。
[2017/08/12 15:23] | 念仏 | トラックバック(0) | コメント(0) |
南無阿弥陀仏を称えるということ
親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願力のはたらきとして、二種の回向があると教えられます。

二種の回向の一つは往相回向であり、二つには還相回向です。

往相とは、阿弥陀仏の浄土に往くはたらきです。

還相とは、阿弥陀仏の浄土から還り来るはたらきです。

往相の法として与えられたものに真実の教と行と信と証があります。

さらに、往相回向をうかがうと、往相の因として大行と大信が与えられています。

大行とは、尽十方無碍光如来の名を称えることです。
この行には、阿弥陀如来が完成されたすべての善徳をおさめ、あらゆる功徳の根本としての徳をそなえており、極めて速やかに功徳を行者の身に満足せしめる勝れたはたらきをもっています。
それは仏のさとりの領域である真如と呼ばれる絶対不二の真実の顕現態ですから、大行と名づけられるのです。

尽十方無碍光如来の名を称えるとは、南無阿弥陀仏を称えることです。

つつしんで、南無阿弥陀仏を称えさせて頂きます。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

私が「南無阿弥陀仏」と今、念仏を称えられることは、とてつもないことで、想像をすることもできない尊い行であります。


南無阿弥陀仏


梯實圓 著 教行信証 本願寺出版社を参照させて頂きました。
ありがとうございます。
[2017/07/25 17:03] | 念仏 | トラックバック(0) | コメント(0) |
念仏往生の願
阿弥陀さまが、念仏する者を必ず浄土に迎えとるという約束を
第十八願で誓って下さっています。
その約束を信じたならば、念仏をしようという心が起て、念仏を称えます。
信じたところで往生が定まります。
信心正因なので、念仏は往生の因ではありません。

歎異抄第二章
ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしとよき人(法然上人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。


南無阿弥陀仏
[2017/07/19 15:55] | 念仏 | コメント(0) |
極重の悪人はだだ名号を称えなさい
極重悪人唯称仏 
我亦在彼摂取中 
煩悩障眼雖不見 
大悲無倦常照我 

この言葉がふつと出てきました。

これは、親鸞聖人が正信偈で源信和尚のこころを讃嘆された文です。

文の大意を桐渓順忍和上の「正信偈に聞く」で聞かせて頂きます。 

極重の悪人は、他の方法では仏になることができないから、
ただ阿弥陀如来の名号を称えなさい。
必ず摂取不捨の光明のはたらきで浄土に往生することができます。
私もその人々と同じように称名して、彼の摂取不捨の光明の中にあるのであります。
煩悩のために眼を障えられておるので、その光明を見ることはできませんが、
如来大悲の光明は、少しもうむことがなくて、いつも私の身を照らし護って下さるのであります。


極重の悪人とは私のことです。
悪を重ね、善根のない私は、阿弥陀仏の本願力の他に仏になることはできません。

仏になることがどれほど大事であるかといえば、
仏になることで迷い苦しみの世界から出ることができるのです。

仏になるために厳しい修行をされる人もあり、修行で仏になる道もあります。

しかし、修行に耐えられない私にはその道はありません。

源信僧都は、「極重悪人唯称仏」とお勧め下さるので、
「はい」と従って、
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏を称えさせて頂きます。


南無阿弥陀仏


りほつばさかな
ただ阿弥陀如来の名号を称えなさい。
[2017/07/13 14:10] | 念仏 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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万寿のイルミネーション


人生を振り返ると人間関係に悩み苦しむことが多かったように思います。いじめ、失恋、受験の不合格、就職、転職、病気、独立開業、廃業、離婚、お金、これらを全部経験しました。生きることを苦しく感じる時があります。それでも生きる目的を知りたかった。親鸞聖人の教えを聞くご縁があり、阿弥陀仏の本願を知らせて頂きました。後から来られる人の明かりになれば幸いと思い、文章をつづり言葉を残します。

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