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ノートの片隅に書いてありました
さびしくなり、

不安になり、

気がめいった時に口から出て下さる

南無阿弥陀仏

そばにいるぞ

いつも一緒にいるぞの

弥陀のはげまし



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[2017/07/31 17:50] | 弥陀の呼び声 | トラックバック(0) | コメント(0) |
大富豪にしてあげる
温かくて満開の花に囲まれ、
20歳に若返り、
健康で、身体は活力が充満し、
美しく、優しく、私を愛してくれる妻がいて、
3人の子供が元気で笑顔に満ちていて、
資産が1千億円あり、
何もしなくても毎年百億円の利息が入る。

こんな人生と今の人生を交換できるとしたら・・・。


私は、南無阿弥陀仏を称えて生きる今の人生が幸せです。

もちろん、上に書いたような生活を手に入れたいです。

それとは別次元のしあわせの中に「いま」いて、
いま・いま・いま・いま・と「いま」がずっと続きます。

不思議です。

南無阿弥陀仏
[2017/07/30 06:00] | 信心 | トラックバック(0) | コメント(0) |
打ちのめされて
約1年、時間と資金をかけて準備した事業から撤退することにしました。
完全撤退にするか一時撤退にするかは、休んで体調が回復し元気を取り戻したら再度決断します。


利益が出せない焦り、経費、赤字。
いらだち、疲労、失望感、挫折感。
苦しいです。

私自身に対するうぬぼれと見込みの甘さがありました。


娑婆で悪戦苦闘し、苦しい思いの中で
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏が出てきました。

私の悪凡夫の姿、過去に何をしてきたのか、
掛け値なしの本当の姿を思い知らされます。


娑婆世界で今生きる、
これからも生きていくと思うと重く感じます。

我慢ぜず、正直に、「はあ」とため息をついてみました。


こんな状況ですが、「南無阿弥陀仏」と念仏を称えると、
弥陀の胸のど真ん中に、いま抱え込まれていることを思い出し、
「また頑張るか」とうつむいた顔を上げ、
ひざをつき、手をついて倒れこんだからだを踏ん張って、
起き上がる力が湧いてきました。

欲の波を浴びる私に
阿弥陀さまがそっと手を差し出して下さったのでしょうね。

どう生きるか。

今までとは、少し違う生きる道を探してみます。
もう一度まじめに考え直して、新たな希望を見つけます。


ありがとうございます。
南無阿弥陀仏
[2017/07/29 16:29] | 因果の通り | トラックバック(0) | コメント(0) |
南無阿弥陀仏を称えるということ
親鸞聖人は、阿弥陀仏の本願力のはたらきとして、二種の回向があると教えられます。

二種の回向の一つは往相回向であり、二つには還相回向です。

往相とは、阿弥陀仏の浄土に往くはたらきです。

還相とは、阿弥陀仏の浄土から還り来るはたらきです。

往相の法として与えられたものに真実の教と行と信と証があります。

さらに、往相回向をうかがうと、往相の因として大行と大信が与えられています。

大行とは、尽十方無碍光如来の名を称えることです。
この行には、阿弥陀如来が完成されたすべての善徳をおさめ、あらゆる功徳の根本としての徳をそなえており、極めて速やかに功徳を行者の身に満足せしめる勝れたはたらきをもっています。
それは仏のさとりの領域である真如と呼ばれる絶対不二の真実の顕現態ですから、大行と名づけられるのです。

尽十方無碍光如来の名を称えるとは、南無阿弥陀仏を称えることです。

つつしんで、南無阿弥陀仏を称えさせて頂きます。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

私が「南無阿弥陀仏」と今、念仏を称えられることは、とてつもないことで、想像をすることもできない尊い行であります。


南無阿弥陀仏


梯實圓 著 教行信証 本願寺出版社を参照させて頂きました。
ありがとうございます。
[2017/07/25 17:03] | 念仏 | トラックバック(0) | コメント(0) |
毎日苦しいと感じている理由を知りました
「人生は苦なり」とお釈迦さまがおっしゃったとお聞きします。
「苦」とは、「思うようにならないってことだ」とご法話でお聞きしました。

正にその通り。
そうだ、その通りだ。
そこだったのか。

理由もわからず人生に苦しんでいる私の
苦しみの原因をズバリと言い当てられたと納得しました。


億万長者になりたい。
あの人と相思相愛の関係になりたい。
希望する学校に入学したい。
あの会社に就職したい。
金メダルが獲りたい。
病気を治して健康を取り戻したい。
やせたい。
長期休暇をとって旅行に行きたい。


求めているものはその時々、その人ごとに違いはありますが、
思うようにならなくて苦しんでいます。

「人生は思うようにならない」のに思うようにしようとするから辛いのかもしれません。

だけど「思うようにしたい」の思いが捨てられません。
煩悩がある限り、苦しみの世界から抜けられない私です。

「煩悩があるままで救う」という阿弥陀仏の本願が有り難いです。

煩悩いっぱいで何が起きても不思議でない私が、
こうして身の程知らずに欲張って生きていられるのも
南無阿弥陀仏が守護して下さっているのでしょう。

南無阿弥陀仏


りほつばさかな
欲しい欲しいと不足ばかり見るのではなく、
有るものに目を向けて感謝できるといいですね。
[2017/07/21 14:03] | Unclassified | トラックバック(0) | コメント(0) |
念仏往生の願
阿弥陀さまが、念仏する者を必ず浄土に迎えとるという約束を
第十八願で誓って下さっています。
その約束を信じたならば、念仏をしようという心が起て、念仏を称えます。
信じたところで往生が定まります。
信心正因なので、念仏は往生の因ではありません。

歎異抄第二章
ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしとよき人(法然上人)の仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。


南無阿弥陀仏
[2017/07/19 15:55] | 念仏 | コメント(0) |
なぜ南無阿弥陀仏の六字で助かるのか
さて、南無阿弥陀仏という文字は、その数わずかに六字ですから、それほどのはたらきがあろうとも思えないのに、この六字のお名号のうちには、この上ない如来の深いおはたらきと利益がありますので、そのお力の広大なることは、まったくきわまりがありません。
浅井成海監修「蓮如の手紙」第五帖第一三通P145 より



納得できないと信じられないのが私です。

南無阿弥陀仏の六字でなぜ助かるのか。
どれほど考えたとしても、この「なぜ」は分かりません。

阿弥陀如来の本願は、五劫という計り知れない長い思惟の願です。

なぜ南無阿弥陀仏で助かるのかはわかりませんが、
阿弥陀如来が「われにまかせよ。必ず救う。」と誓って下さっているので、
南無阿弥陀仏のいわれを聞いて、
「おまかせします」と従うだけです。



南無阿弥陀仏
[2017/07/18 13:36] | 五劫の思惟、兆載永劫の修行 | トラックバック(0) | コメント(0) |
なにか楽しいことを探して
少し疲れているのを自覚しています。


なにか楽しいことがないかなと思いながら、

海女まつりというイベントを観に行きました。

ちょうど郷嵐會の太鼓の演奏の真っ最中でした。

炎天下の元、日焼けして、引き締まった体で

全力で太鼓を叩いています。

身体にずんずん響く太鼓の演奏を聞いていると

楽しいとは受け止め方次第だ気づきました。

観てるなら、踊った方が楽しいです。

テンションを上げていきましょう。

もっと大きな声を出して、

からだを大きく動かして。

佛さまから頂いた命です。

「後生は心配しないで、思い切り生きて来い。」

そう言って下さるので、

精一杯に今を燃やし尽くし、

人生を楽しんでいくことにします。


南無阿弥陀仏


[2017/07/16 17:47] | 感謝 | トラックバック(0) | コメント(0) |
私が悲しい時に
私が悲しい時に、
阿弥陀さまは極楽にはいないの。

私のそばによりそって、
一緒に悲しんでいてくださるの。

私が地獄に堕ちて苦しんでいる時に、
阿弥陀さまは極楽にはいないの。

阿弥陀さまは一緒に地獄に堕ちて、
私のそばによりそって、
ずっとずっと願いをかけて下さったの。

それでやっといま、
ここにこうしていられるの。

南無阿弥陀仏
[2017/07/15 16:00] | Unclassified | トラックバック(0) | コメント(0) |
あなたがさびしいとき
私がさびしいときに、よその人は 知らないの
私がさびしいときに、お友だちは 笑ふの
私がさびしいときに、お母さんは やさしいの
私がさびしいときに、佛さまは さびしいの

これは金子みすゞさんの「さびしいとき」という詩です。


阿弥陀さまは、あなたがさびしいとき、
いつもそばによりそって、
あなたのさびしさがなくなるまで
一緒にさびしい思いをしています。


南無阿弥陀仏
[2017/07/14 16:27] | 弥陀の呼び声 | トラックバック(0) | コメント(0) |
極重の悪人はだだ名号を称えなさい
極重悪人唯称仏 
我亦在彼摂取中 
煩悩障眼雖不見 
大悲無倦常照我 

この言葉がふつと出てきました。

これは、親鸞聖人が正信偈で源信和尚のこころを讃嘆された文です。

文の大意を桐渓順忍和上の「正信偈に聞く」で聞かせて頂きます。 

極重の悪人は、他の方法では仏になることができないから、
ただ阿弥陀如来の名号を称えなさい。
必ず摂取不捨の光明のはたらきで浄土に往生することができます。
私もその人々と同じように称名して、彼の摂取不捨の光明の中にあるのであります。
煩悩のために眼を障えられておるので、その光明を見ることはできませんが、
如来大悲の光明は、少しもうむことがなくて、いつも私の身を照らし護って下さるのであります。


極重の悪人とは私のことです。
悪を重ね、善根のない私は、阿弥陀仏の本願力の他に仏になることはできません。

仏になることがどれほど大事であるかといえば、
仏になることで迷い苦しみの世界から出ることができるのです。

仏になるために厳しい修行をされる人もあり、修行で仏になる道もあります。

しかし、修行に耐えられない私にはその道はありません。

源信僧都は、「極重悪人唯称仏」とお勧め下さるので、
「はい」と従って、
「南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」と念仏を称えさせて頂きます。


南無阿弥陀仏


りほつばさかな
ただ阿弥陀如来の名号を称えなさい。
[2017/07/13 14:10] | 念仏 | トラックバック(0) | コメント(0) |
どう生きたらいいのか
人生は、うまくいかない。
思うようにならないと思いながら生きています。

迷いがあり、少し苦しいです。

「どう生きたらいいのだろう。」
そう思いながらお説教を聞きに行きました。

私が質問したわけではないのですが、
念仏者の生き方というお話になりました。

悩んでいることは同じなのかもしれませんね。

布教師からお聞きしたことを書きます。

子どもの頃からどのように育てられてきましたか?
「勉強しなさい。勉強しなさい。」と
尻を叩かれるように勉強してきませんでしたか。

ちょっとでもいい学校に入りなさいって言われて
受験勉強をしていい学校に入って、
次は、ちょっとでもいい就職をしようとしてきませんでしたか。

いい就職が出来れば いい給料が貰えるからです。
いい給料が貰えれば、結婚して、家を持ってて、子供が育てられる。
老後の心配もない。

そういう風に、生きていませんか。
競争になるのは、当たり前です。

「学校に、入りました」っていうことは、誰かが落ちたのです。
「人気のある企業に就職出来た」ということは、
だいぶ落ちた人がいるっていうことです。

皆が 「勝ち組」とか「負け組」とか、言っている、
それが今 我々か生きている世の中ではありませんか。

金の力を借りて幸せになろうと思い、ひたすら金を追求する。
周りの人や社会に感謝することもなく、
他の人の労力を利用して、自分の幸せを実現しようとしている。

ころが現在の姿ではありませんか。

「念仏者の生き方」とは、一言で言ったら「ご恩報謝」です。

「ご恩」というのは 何かというと、
今まで、自分を成り立たせていたものを、
当たり前だと思っていたのを、当たり前ではなくて、
有難いことと頂く世界です。

私が 今 ここにこうしていられるのは、
あらゆる多くの命と、みなさまのお陰なのです。

みなさまのお陰というのが、大事です。

「みなさまのお陰によって、今 こうやって命を恵まれて ここに 私かおるんだ」
と気づかされたら、
みなさまのお陰に どう報いて行くかということが、ご恩報謝です。

「当たり前だ」と思っていたことが、「当たり前でない」と
気づかされる世界が、浄土真宗の世界です。

気づいたところから、変わって行くのが 浄土真宗の生き方です。

「生き方」というのは、「ご恩」というものが、スタートです。

こう生きるべきとか、ああ生きるべきとか、
浄土真宗の念仏者は、こう生きなければいけませんという話しは、どこにもありません。

生き方が示されていないのは、ご恩が知れたら自ずとそこに生き方が 変わって行くはずです。

・・・ここまで。

食うためのお金を稼ぐために仕事をするのではなく、
ご恩報謝の思いで仕事をするというお話もありました。

まずは、私がどのような恩を受けているのか知ること、感じることから始めます。
ご恩報謝を意識して生きてみようと思いました。

南無阿弥陀仏



りほつばさかな
「ありがとう。」と感謝する心は豊かな心です。
[2017/07/12 15:20] | 感謝 | トラックバック(0) | コメント(0) |
煩悩があるままで救われる
相変わらず、現在の生活の不足、不満に苦しみ、
人生が思い通りにならないと愚痴が出てきて、
未来の生活を想像すれば不安になります。

私が苦しみ悩む原因は、私の悪業煩悩で、善根が薄く少ないからです。

不平、不満、不足、不安が出てくると、私が過去に行った悪が知らされます。

本来出離の縁のない私ですが、
阿弥陀さまが、こんな私のために五劫永劫の願行を
成就して下さったおかげで私が救われます。

もっともっと感謝すべきなのに、まるで感謝する気がありません。

どこまで行っても恩知らずですが、
有り難いので、南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏と
お念仏をさせて頂きます。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
[2017/07/11 16:51] | 阿弥陀仏の本願 | トラックバック(0) | コメント(0) |
ただ念仏のみぞまことにておわします
幸せを求めながら智恵がなく、

迷い苦しんでいるあなたや私がいて、

その姿を阿弥陀仏が慈悲の心でご覧になり、

この迷い苦しむ衆生の苦を除き、

楽を与えたいという願いを起こされた。

阿弥陀仏は、あなたや私のために

極楽浄土を建立する決意をされ、

五劫という長い間思惟され、

兆載永劫という更に長い間修行された。

そしてついに、あなたや私を極楽浄土に生まれさせるという願は成就した。

その証拠に、南無阿弥陀仏となり今届いています。


この話を真面目な顔で話すと

「そんな話を信じているの?」と言わんばかりに

ふふふと笑われることがあります。


「そうだろうなあ」と思います。


信じられないのが当たり前です。

逆に信じている私が、不思議で有り難いです。


唯円が親鸞聖人から直接お聞きした言葉として歎異抄後序に、

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもってそらごとたわごと、
まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておわします。」

というお言葉が紹介されています。


私は、欲が深く、お金が欲しい、ほめられたい、

異性にもてたいの思いに日々振り回されています。

ちょっとしたことで直ぐに腹を立て、

成功している人、恵まれている人を見ると、

その人がどれほど努力しているかも考えず、

ねたんだり、そねんだり、恨んだりしています。

疑い深く、傲慢で、物事を正しく公平に見る智恵がありません。


これが実情です。


世間を見渡せば、私の周りに住んでいる人も、私と大差がなく、

同じように欲や怒り、愚痴や疑心の渦巻く中で生きています。

そのような人が集まり作られた社会も、うそ、偽りが多く、変わりどおしです。


変わりどおしで真のない世間や私の、常識、知識・経験・智恵や判断などは、

よくよく考えてみると頼りにならず、

正しいと信じているものが、本当に正しいのかわかりません。


親鸞聖人は、「ただ念仏だけがまことです。」とおっしゃいます。


お釈迦様のお話をお聞きしていると

おとぎ話のように聞こえますが、

まことと思っていた自分も世間も実はうそ偽りであると気づきた時に

親鸞聖人が仰るように、

南無阿弥陀仏だけがまことなのかもしれないと思い直して、

親鸞聖人がまこととおっしゃる

南無阿弥陀仏のいわれを聞かせていただきました。



南無阿弥陀仏



りほつばさかな
南無阿弥陀仏のいわれを素直になって聞いて下さい。
[2017/07/10 16:00] | 念仏 | トラックバック(0) | コメント(0) |
弥陀に救われるために私がすること
私の方ですることがあるとしたら、
聞くことです。


仏説無量寿経 巻下 本願成就文に

諸有衆生、聞其名号、信心歓喜、乃至一念

訳 : あらゆる衆生、其の名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん

とある通り、「聞」が必要です。


何を聞かせて頂くのかというと、

聞其名号
その名号です。

この御文は、第十八願本願成就文の御文ですから、
その名号の「その」とは、直前の第十七願の名号を指しています。

「十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまう」
とある名号のことです。

名号とは、南無阿弥陀仏のことです。

諸仏如来が称賛する
南無阿弥陀仏のいわれを聞くことで阿弥陀仏の救いに遇えます。


南無阿弥陀仏



里萌元翼果南
仏説無量寿経に解かれている阿弥陀仏の本願の
第十七願の名号のいわれをよく聞いて下さい。
[2017/07/09 10:00] | 生起本末 | トラックバック(0) | コメント(0) |
光に向かって進んだ先の救いではない
私はかつて、弥陀に救われるには求道が必要で、
光に向かって進んだ先に、
善がひとつもできない地獄一定の自己が知らされ、
知らされると同時に弥陀に救われるものと考えていました。

友人に送る年賀状にも、
「光に向かって進ませて頂きます」と決まって書いていました。

しかし、光に向かって進んだ先に阿弥陀仏の救いがあると考えるのは誤りです。

阿弥陀仏の救いは、現在、この場で、そのままの救いです。

光に向かって進むと言ったら、未来です。
この場ではありません。
今の私では救われないということです

大切なことなので繰り返しますが、
阿弥陀仏の救いは、現在、この場で、そのままです。

南無阿弥陀仏のはたらきで救われるには、
私の方ですることは何もありません。

私が何かする必要があるということは、
南無阿弥陀仏に不足があるということです。

南無阿弥陀仏には、足すものも引くものもありません。

「現在、この場で、そのまま」、
あなたも私も弥陀の本願で救われます。


南無阿弥陀仏



里萌元翼果南
第十七願の名号のいわれを聞いて下さい。
[2017/07/08 10:00] | 阿弥陀仏の本願 | トラックバック(0) | コメント(0) |
いつ、どこで弥陀に救われるのか
阿弥陀仏の光明のはたらきをあらわして、
無量寿如来とお呼びすることがあります。
無量寿とは、寿命に限りがないということで、
阿弥陀仏の衆生救済するはたらきの
時間的な完全さを示しています。

つまり、いつでもということです。

また、無辺光如来とお呼びすることもあります。
無辺光とは、いかなるところにいるものにも届いていて救うという、
阿弥陀仏の衆生を救済するはたらきの
空間的な完全さを示しています。

つまり、どこでもということです。


いつでもどこでも、あなたのいるところ
私のいるところに光明のはたらきが届いています。

地球上の、いや、宇宙のどこにいようと
あなたの今いる場所、私が今いる場所で救われます。

いつ、どこに行っても南無阿弥陀仏と一緒です。

ありがとうございます。

南無阿弥陀仏

[2017/07/07 16:00] | 平生業成 | トラックバック(0) | コメント(0) |
弥陀の本願は、いま、ここでの救い
時間は、今の連続だそうです。

この「今」をとらえることはできません。
「い」と言ったときは、「ま」はまだ来ません。
「ま」と言ったときは、「い」すでに過ぎ去っています。

スタープラチナ級のスピードで
「いま いま いま いま いま いま」と言っても
「今」はすでにさっきの「今」で
今はまた今の連続です。

この留まることのない「今」を
「ここ」という空間でとらえることができます。

「今」とは、「ここ」である。

では、「ここ」とはどこか?

「ここ」とは、あなたのいる場所、私のいる場所です。

南無阿弥陀仏の救いは、いま・ここでの救いと聞かせて頂きます。

平生業成の平生は、
いま・ここでということです。

いま・ここでの救いとは、
あなたにとってはあなたのいる場所で、
私にとっては私のいる場所で救われる
ということです。


南無阿弥陀仏



りほつばさかな
南無阿弥陀仏のはたらきは、いま・ここに届いています。
南無阿弥陀仏のはたらきの中にいます。
[2017/07/06 16:00] | 平生業成 | トラックバック(0) | コメント(0) |
抱いてかかえて連れて行く
日曜日の午後5時過ぎ、熊谷市から
東京行の快速列車に乗車しました。

混雑はしていませんが座席は全て埋まっています。

乗客の中に、見たところ30代の若いお父さんが
2歳くらいの女の子を抱えて立っています。

女の子はお父さんに抱えられてぐっすり眠っています。
お父さんは、「落とさんぞよ」と足を踏ん張って
必死に揺れに耐えています。
再び女の子に目を移すと、やっぱり安心し切ってスヤスヤ。

ほほ笑ましく頼もしい光景です。

浄土真宗では阿弥陀さまのことを親さまとお呼びすることがあります。

親さまは私のことを抱いてかかえてお浄土に連れて行って下さいます。
親さまは私に、「まかせろ」としか仰いません。
私は親さまに後生の心配を全部おまかせしました。

はっきり言って本当のところ、親さまが私を
どこに連れて行って下さるのか知りません。

私は親さまにただおまかせして、
親さまの連れて行って下さるところに行くだけです。

南無阿弥陀仏は、私の側から言えば
「阿弥陀如来のおおせにまかせる」という意味です。

阿弥陀さまの側からは、
「阿弥陀仏にまかせなさい」という命令です。

法蔵菩薩は、あなたや私、
一切衆生を助けるだけの十分な力と準備ができたので
阿弥陀と名乗り、
「お前を浄土に連れて行くぞ」という呼び声となって今届いています。

弥陀が「まかせろ」と言われるので「おまかせします」と聞き入れました。

ほどなくして女の子を抱きかかえたお父さんは、
荒川を渡った駅で降りて行かれました。
女の子が目覚めるとそこは家のお布団の上かもしれませんね。

南無阿弥陀仏



りほつばさかな
阿弥陀さまに全ておまかせすればよいのです。
[2017/07/05 18:14] | 弥陀の呼び声 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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万寿のイルミネーション


人生を振り返ると人間関係に悩み苦しむことが多かったように思います。いじめ、失恋、受験の不合格、就職、転職、病気、独立開業、廃業、離婚、お金、これらを全部経験しました。生きることを苦しく感じる時があります。それでも生きる目的を知りたかった。親鸞聖人の教えを聞くご縁があり、阿弥陀仏の本願を知らせて頂きました。後から来られる人の明かりになれば幸いと思い、文章をつづり言葉を残します。

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